『みんなが手話で話した島』|ノーラ・エレン・グロース

ノンフィクション
蒔

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今回はノーラ・エレン・グロースさんの作品、『みんなが手話で話した島』をご紹介します。

誰もが普通に手話を使って話していた社会。
今は失われてしまったその社会を、この本で垣間見ることができます。

言語って何だろう?共生って何だろう?
深く考えさせてくれる1冊です。

ざっくりあらすじ

アメリカ・ボストンの南にあるマーサズ・ヴィンヤード島。
ここでは、1世紀以上にわたって、聞こえる人も聞こえない人も、日常で手話を使っていた。

人々はどのようにして手話を学び、使い、共生していたのか?
文化人類学者である著者が、フィールドワークと記録をもとに、明らかにしていく。

感想

雑誌『kotoba』53号で紹介されていて、気になったこちらの本。
私と同じく言語学に興味がある方なら、間違いなく面白い1冊でした。

遺伝的に生まれつき耳が聞こえない人が多かった、マーサズ・ヴィンヤード島。
何世代にもわたって手話を使ううち、たどり着いた境地は、「耳が聞こえないことが意識されない」社会。

以下は、著者が面接(聞き取り調査)を行ったある老婦人との会話の抜粋です。
ある二人の島民について質問された老婦人の返答は…

(前略)
「ひょっとして、お二人とも聾だったのではありませんか?」
「そうそう、いわれてみればその通りでした。二人とも聾だったのです。何ということでしょう。すっかり忘れてしまうなんて」

ノーラ・エレン・グロース『みんなが手話で話した島』早川書房

彼女にとっては、二人が聾(※)であったことより、腕のいい漁師だったことのほうがはるかに印象深かったらしいのです。
※ろう、ここでは耳が聞こえないことを指す

それくらい、耳が聞こえないことが社会生活に影響を及ぼしていなかったわけです。
その背景にあったのが、手話の浸透。

現代では、手話は聞こえない人と話すための代替言語、という性質が強いように感じます。
でも、当時のマーサズ・ヴィンヤード島では、誰もが手話を使っていました。

聞こえる人同士でも手話を使ったり、口で話すのと手話とをちゃんぽんしたり、時には内緒話を手話で…なんてこともあったそう。
仕方なく手話を使うというのではなく、自由に使えるもう一つの言語だったんですね。

「耳が聞こえない」という事実はある。
でも、それが社会生活でどの程度妨げになるかは、社会の側のシステムにかかっているのだと考えさせられた1冊でした。

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