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今回は、アーザル・ナフィーシーさんの作品、『『テヘランでロリータを読む』|アーザル・ナフィーシー』をご紹介します。
1979年に始まったイラン革命。
肉体的・精神的な迫害の中で、いかにして尊厳を守り続けるか?
著者は、1979年から17年間イランに暮らした英文学者。
激動の中で生きた人々の、写真や動画では分からない日常や心の動きをつづった、世界的ベストセラー回想録です。
ざっくりあらすじ
1995年、大学教諭の職を辞した著者は、新たな試みを始めた。
それは、発禁になった海外の小説を生徒たちと共に読み解いていく、「秘密のクラス」。
女性に対する厳しい迫害の中で、尊厳を守り、自分の意思を守るとはどういうことなのか。
革命の時代にあってもフィクションの力を信じ続けた著者の回想録。
感想
私はイラン革命について、教科書的な知識しかありませんでした。
イラン・イスラーム共和国が独立したこと、デモや暴動で多くの人が亡くなったこと。
こうしたことも言うまでもなく重大ですが、この本で突きつけられたのは、「心の迫害」の深刻さでした。
例えば、女性がヴェールを被ることを強制されること。
ヴェールを被りたくない人が自由を奪われるのはもちろん、被りたい人も、「自分の信仰のためにヴェールを被る」という自由を奪われてしまいます。
価値観を押し付けられていたのは女性だけではありません。
以下は、著者がクラスの生徒から聞いた話の抜粋です。
(前略)友人の十歳になる息子が怯えた様子で両親を起こし、「違法な夢」を見たと言った。夢の中で彼は海岸にいたが、そこで何人かの男女がキスしており、彼はどうしていいかわからなかった。息子は違法な夢を見たと両親に言いつづけた。
アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』河出書房新社
他に、りんごのかじり方がなまめかしすぎると叱責される(!)というエピソードも。
迫害をしている人もまた、心に歪みが生じていると思わずにはいられません。
現代では、革命や戦争の劇的な部分が目に焼き付きやすいように感じます。
マスメディアでもインターネット上でも、写真や動画が氾濫していて、無意識に目に触れやすいからです。
そんな中で、実際に人々が何を考えて行動していたのか、何を感じていたのかを垣間見せてくれる本書は、とても貴重だと思います。
また、秘密のクラスのメンバーは、フィクションを通して現実を見つめなおすことで、自分の置かれている状況を発見していきます。
そんな小説の読み方があることにも初めて気づかされました。
ナボコフの『ロリータ』やフィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』を、「テヘランで読む」ことにどんな意味があったのか。
最後まで読んで、もう一度読み返したくなる1冊でした。
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